フジテレビ経営陣の激動: 日枝代表の一喝が意味するものとは

フジテレビ経営陣の激動: 日枝代表の一喝が意味するものとは

日枝久のサムネイル
日枝 久(ひえだ ひさし、1937年12月31日 – )は、日本の実業家。フジサンケイグループ代表、株式会社フジテレビジョン取締役相談役、株式会社フジ・メディア・ホールディングス取締役相談役。 その他、株式会社産業経済新聞社取締役相談役、公益財団法人彫刻の森芸術文化財団理事長、彫刻の森美術館および…
21キロバイト (2,076 語) – 2025年1月26日 (日) 18:57

(出典 フジテレビ“日枝礼賛”音声テープ公開! – YouTube)
このフジテレビの経営陣の辞意表明は、企業の透明性とリーダーシップの重要性を浮き彫りにしています。日枝代表の反応は、逆境に屈することなく挑戦を続ける姿勢が求められる時代背景を象徴しているように思います。彼の一喝が、組織の士気を高め、より強固なチームを築くための踏み台になることを願います。

1 冬月記者 ★ :2025/01/27(月) 15:42:23.72 ID:RF5E+VwC9

https://news.yahoo.co.jp/articles/5f8854cc6b880701c413c277b3e944f4ed558b95

フジ経営陣「辞意」伝えるも…日枝代表まさかの一喝「こんなことで負けるのか」 27日注目のやり直し会見

 中居正広氏(52)の女性トラブルを巡る一連の対応が批判され、経営の根幹が揺らいでいるフジテレビは27日、東京・台場の同局で記者会見を行う。

 それに先立ち、臨時取締役会で経営陣の進退について議論される。会見には同社の港浩一社長、嘉納修治会長、遠藤龍之介副会長、フジ・メディア・ホールディングスの金光修社長の4人が出席し、注目はその処遇となる。

 スポニチ本紙の取材では、23日の社員説明会の前に港、嘉納、遠藤の3氏がフジサンケイグループの日枝久代表に辞意を伝えていた。

 だが日枝氏は「こんなことで負けるのか、お前たちは!」などと一喝。出席していた幹部は「今回の問題を勝ち負けで考えているとは…」とあぜんとしたという。

 社員は日枝氏と経営陣の総退陣を求めている。社員説明会でも「日枝体制が一掃されなければ会社は立て直せない」「日枝氏も含め、経営陣が辞めるべき」などの声が港社長に浴びせられていた。

 一方で日枝氏の発言について別の見方をする幹部社員もいる。「“こんなことで負けるのか”という言葉は、辞めることを前提に信用回復に向けて取り組むのではなく、まずは今やるべきことをすべきだという意味。進退についてはその後に考えろということではないか」と推察した。

 “日枝帝国”とも呼ばれるフジサンケイグループ。日枝氏は1980年にフジの編成局長に就任。42歳の若さでの抜てきだった。

 「楽しくなければテレビじゃない」のスローガンを掲げ、82年に「視聴率3冠」を達成。黄金時代を築き上げた功労者だ。

 こうした実績から、次第にグループの全権を握るようになった。グループ全体の人事に圧倒的な影響力を誇り、2017年にフジの会長を退任し相談役となった後も、それは変わっていない。

 同局関係者は「局長以上の人事は日枝さんの承認が必要で、さらに役員人事は全て日枝さんの意向。これが20年続いている。昇進した人たちは“日枝さんのおかげ”と考え、日枝氏の意向に従うようになる。こうして日枝帝国は長く続いてきた」と解説した。

 開局以来の未曽有の危機。会社が生き残るためには、経営陣の刷新は不可欠だ。その中でも、日枝氏の動向にグループ全体が注視している。

 ≪日枝氏とは 「フジテレビの天皇」92年クーデター画策し実権握る≫「フジテレビの天皇」と呼ばれる日枝氏。早大教育学部を卒業後、61年にフジテレビに入社。労働組合の書記長として組合活動に奔走した時期もある。編成局長などを経て、88年に50歳で社長に就任。

 90年代初頭、オーナー一族の鹿内宏明氏がフジサンケイグループの議長として全権を握っていたが、92年に日枝氏は反宏明派の中心人物としてクーデターを画策し、実権を握った。政財界との太いパイプを持ち、森喜朗元首相ら歴代の首相とも親交が深い。

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