岡田監督の勇退と最終戦の白星!有終の美に向け日本一への挑戦!!

岡田監督の勇退と最終戦の白星!有終の美に向け日本一への挑戦!!

岡田監督の勇退と最終戦の白星!有終の美に向け日本一への挑戦!!

岡田彰布のサムネイル
org/oclc/464746943  ^ オリ監督内定岡田氏、モノ言う監督になる 日刊スポーツ 2009年10月2日 ^ 非常事態に岡田監督“兼任”投手コーチ ^ 岡田監督「サッカー関係者が怒りよるよ」 ^ 岡田監督「絶対はないけど絶対優勝する」 デイリースポーツ2011年12月16日 ^ 岡田彰布監督任期満了のお知らせ オリックス・バファローズ…
117キロバイト (16,767 語) – 2024年10月6日 (日) 04:22

1 @シャチ ★ 警備員[Lv.13][苗] :2024/10/04(金) 00:07:26.62 ID:TKewo1a09

10/3(木) 22:57配信 日刊スポーツ
https://news.yahoo.co.jp/articles/22fc5780d68b779b4a4ef93c8fc6b39b8415473b
<DeNA1-3阪神>◇3日◇横浜

 阪神岡田彰布監督(66)が今季限りで退任することが3日、分かった。後任には阪神OBの藤川球児氏(44=球団本部付スペシャルアシスタント)が最有力候補に挙がる。阪神はこの日、リーグ最終戦となるDeNA戦(横浜)に臨み、CSファーストステージの相手に勝利。しかし、岡田監督は報道陣の取材には応じず、自身の去就についても口を閉ざした。球団初のセ・リーグ連覇の夢はついえたが、CS、日本シリーズを勝ち抜き、2年連続の日本一を目指す最中。有終の美を飾り、後進に託すことになりそうだ。

    ◇   ◇   ◇

 横浜スタジアムに「岡田コール」が響いた。今季レギュラーシーズン最終戦。グラウンドでナインとともに並んだ岡田監督へ、コールは鳴りやまない。「岡田! 岡田!」。何度も呼ばれる自身の名前を聞きながら、指揮官は最後まで落ち着いた表情で息を吐いた。

 騒がしくなった周囲をよそに、岡田監督はこの日言葉を発しなかった。CSへ弾みのつく白星締めにも、通常行う囲み取材を実施せず。静かにゆっくりとバスへ乗り込んだ。試合前に報道された自身の去就には口を開かなかった。

 球団初のセ・リーグ連覇の夢がついえた翌9月29日。「これからまだ1カ月ぐらいは野球をしたいと思うので、いい準備をして臨みたいと思いますけどね」。気持ちを切り替え、ポストシーズンへの意気込みを話していた。その裏では岡田監督、杉山オーナー、粟井球団社長で会談を実施。2年契約を終え、今季限りで勇退することが決まった。

 岡田監督は昨季、15年ぶりに阪神に復帰。18年ぶり6度目のリーグ優勝に導き、38年ぶりの日本一にも輝いた。今季はあと1歩で頂点には届かなかったが、巨人を最後の最後まで追い詰めて、140試合目まで優勝の行方をもつれさせた。残した功績は誰もが認めるところだ。

 来季は球団創設90周年の節目の年。リーグ王者奪還へ、夢を託す後任には球団OBの藤川氏が最有力候補に挙がる。この日、取材に応じた阪急阪神ホールディングスの角和夫会長(75)は、監督人事を球団に一任すると強調しながら「阪神球団がそう選んだのなら、もちろん、もろ手を挙げて賛成です」と歓迎した。

 現役時代は「火の玉」と称された直球を武器に、守護神として日米通算245セーブ。05年は救援トリオ「JFK」の中核として、岡田監督のもとでリーグ優勝に貢献した。コーチ経験はないが猛虎を象徴する右腕は、常勝を引き継ぐ上でこれ以上ない候補だ。

 もちろんチームは現在、戦いの道半ば。指揮官も気持ちは変わらない。この日は降雨の影響もあり、2回2死二、三塁で近本がチーム2個目の死球を受けると、思わず立ち上がり険しい表情を見せた。まずは日本一へと歩みを止めず、その先で新指揮官へとバトンを渡すことになりそうだ。

 ◆岡田彰布(おかだ・あきのぶ)1957年(昭32)11月25日生まれ、大阪府出身。北陽から早大に進み3年秋に3冠王。通算打率3割7分9厘と81打点は現在も東京6大学記録。79年ドラフト1位で6球団競合の末、阪神入り。80年に新人王を受賞。85年にはバース、掛布雅之とともに強力打線をけん引し日本一となる。94年オリックスへ移り95年引退。現役通算1639試合、1520安打、247本塁打、836打点、打率2割7分7厘。現役時代は175センチ、77キロ。右投げ右打ち。引退後はオリックスと阪神でコーチや2軍監督を歴任し、04年に阪神監督に就任。05年にはセ・リーグ優勝へと導いた。08年に退任。10~12年オリックス監督。23年には阪神監督に復帰し、日本一を成し遂げた。

 ◆藤川球児(ふじかわ・きゅうじ)1980年(昭55)7月21日生まれ、高知県出身。高知商2年夏に甲子園出場。98年ドラフト1位で阪神入団。05年、ウィリアムス、久保田との救援トリオ「JFK」の中核を担いリーグ優勝に貢献。06年途中から抑えを務め、07年の46セーブはセ・リーグ最多タイ。12年オフにFAでカブス移籍。15年にレンジャーズへ移籍し、自由契約となった後は独立リーグ四国IL・高知に加入。16年に阪神復帰。20年限りで引退した。NPBでは782試合に登板し、60勝38敗、防御率2・08。通算243セーブは歴代5位タイ。現役時代は185センチ、90キロ、右投げ左打ち。引退後は球団本部付スペシャル・アシスタント(SA)を務める。

 

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