永山竜樹、待てがかかって力を抜いた瞬間に一本負け 反省のコメント明かす
永山竜樹、待てがかかって力を抜いた瞬間に一本負け 反省のコメント明かす
この項目には、一部のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字(Microsoftコードページ932(はしご高))が含まれています(詳細)。 永山 竜樹(ながやま りゅうじゅ、1996年4月15日 – )は、日本の柔道家。北海道美唄市出身。階級は60kg級。身長156cm。組み手は右組み。血液型はA…
35キロバイト (3,911 語) – 2024年7月27日 (土) 16:56
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1 冬月記者 ★ :2024/07/28(日) 02:21:07.74 ID:5UQ/Agi59
永山竜樹 失神一本負け判定は「自分の隙が生んだ負け」 悔恨「『待て』がかかって力を抜いたところにしっかり入ってしまった」「記憶がない」
「パリ五輪・柔道男子60キロ級・3位決定戦」(27日、シャンドマルス・アリーナ)
準々決勝で敗れた永山竜樹(28)=SBC湘南美容クリニック=は、3位決定戦でイルディス(トルコ)に合わせ技一本勝ちで銅メダルを獲得した。
開始45秒で大腰で技ありを奪うと、残り52秒で横車で再び技ありを奪い、メダルをもぎとった。同階級では日本勢4大会連続メダルとした。
試合後、永山は「金メダル目指してやってきたので、悔しい。家族とかたくさんの方々応援にきていただいていた。手ぶらで帰るわけにはいかないと思っていた」と、振り返った。
痛恨だったのは、準々決勝。23年世界王者のガルリゴス(スペイン)に片手絞めで一本負け。絞め技を食らい、こらえていたが、主審の「待て」の後も、相手が数秒ほど絞め技を継続。その後、畳に倒れ込んだところ、失神していたと判断された。
「『待て』は、聞こえてましたね。でもやっぱりそこで自分が気を抜いてしまった。ちょっとした隙が負けに繋がった。絞まっているところに指入れて耐えていたんですけど、待てがかかって、ちょっと力を抜いたところにしっかり入ってしまった。そこからはちょっと記憶ないんですけど。待てかかっていて、あとちょっと自分も耐えていたが、待てかかってから長くて、気づいたらああいう形になっていた」と、振り返った。
一本負けの判定に「正直、何が起きたかわかってなくて。でも待てかかっていたのは覚えていた。おかしいなと思っていた。自分に隙があったのかと思う。自分が気を抜いた。自分の隙が生んだ負け」と、足元を見つめた。
準々決勝の敗戦の瞬間は呆然。しかし、納得のいかない永山は握手を拒否。その後も不満を露わにし、映像確認を求めて、畳からなかなか下りなかった。
会場からはブーイングのように指笛が吹かれ、早く畳みを下りるように促された。約5分経ち、礼をして畳を下りた永山は関係者と「待てって聞こえていた」と話していた。準々決勝終了後、日本の鈴木桂治監督、古根川実コーチ、金野潤強化委員長が大会本部に抗議していたが、覆らなかった。
敗者復活戦で楊勇緯(台湾)を優勢勝ちで下し、3位決定戦に進んだ。
全柔連の金野強化委員長は「我々としてはジャッジには納得できないとして、正式の文書を出して、予選終了してから、協議した。納得できないと伝えたが、覆ることはないといわれた」と説明。
「『待て』がかかってから6秒絞め続けている。柔道の精神として受け入れられない」と、遺憾の意を表した。「審判が一番近くでみていて、絞めが決まって落ちたと判断した」と説明を受けたという。金野強化委員長は「永山は『待て』を聞いている。ロジック的にはかなりおかしいが、平行線だった」と、首を振った。